"チンソン"の愛称で親しまれていた漢文の村山芳郎先生が3年前・平成17年7月24日に逝去されていたことが、この程判明した。享年91歳。
先生は東京帝大卒業後、昭和18年当時の豊多摩中学に赴任、以来一度も転出されることなく、同52年に退職されるまで実に34年間母校で教鞭を取り続けられた。
ところで歴史学者で、愛知万博の総合プロデューサーだった中3期の木村尚三郎氏が平成18年秋に亡くなられた際、私がこの豊多摩リンクスに原稿を書いたのだが、名簿を調べると同氏の担任は村山先生だった。
教え子の思い出などで記事を膨らませようと先生に電話すると、すでに受話器は取り外されていた。
その昔先生は校地内に数軒あった教職員用住宅に住まわれ、文字通り職住接近だった。
何しろ校庭の一隅が芋畑だった旧き良き?時代の話である。
その後東林間に移られたが、御子息によると先生は豊多摩のあと幾つかの都立高で講師として漢文を教えられ、90歳までは病気一つせず、漢詩の研究や読書三昧のゆったりとした日々を送られたそうだ。
奥さまはご健在で、お近くにお住いとのこと。
我々11期B組は頻繁にクラス会をやるので有名だったが、担任だった先生にもよく参加して頂いた。
いつだったか、近頃の若い豊多摩生は以前とだいぶ違うのではと伺うと「違いは無い。人の心は千年や二千年で変わるものでは無い」と例の津軽弁でもの静かに、しかしきっぱりと語られたことが印象に残っている。
改めてご冥福をお祈りします。
11期 矢島 照久